引用元:YAHOO!JAPANニュース
2026年の大河ドラマは『豊臣兄弟!』と決まり、仲野太賀さんが主人公の豊臣秀長を演じる事になりました。豊臣秀長は早く亡くなって、豊臣家は滅んでしまったと言われています。
それでは、なぜ豊臣秀長が長生きしていたら、徳川家康が天下を取れないのか?その理由について詳しく紹介しましょう。
豊臣秀長が長生きしていたら徳川家康が天下を取れない理由は五大老?
豊臣秀吉は、頼りとしていた弟・秀長が亡くなってしまったので、仕方なく『五大老・五奉行』制度を作りました。
五大老は、広大な国土を誇る大大名ばかりであり、その顔ぶれは凄いものがあります。
- 徳川家康
- 毛利輝元
- 前田利家
- 宇喜多秀家
- 上杉景勝
五大老は、豊臣秀吉が亡くなった後に、政(まつりごと)に大きく関わる事になってしまい、これが徳川家康につけいる隙を与えてしまいました。
もしも、豊臣秀長が長生きして、豊臣秀吉の後ろ盾になってくれていたら、豊臣秀吉はこの制度を作らなかった可能性が高いですね。
豊臣秀長が長生きしていたら朝鮮からの撤退が早まった
豊臣秀長は1592年に亡くなってしまいましたが、同じ年に、豊臣秀吉は朝鮮への出兵を命じました。
恐らく、豊臣秀長は、この無益な戦を止めようとしていたのでしょう。しかし、病弱であり、止める事ができず、莫大な戦費と兵力の消耗を招いてしまいました。
徳川家康は、新しい領国経営のためと言い訳をして、朝鮮出兵を免れて、虎視眈々(こしたんたん)と力をたくわえてしまったのです。
それにひきかえ、豊臣は、兵力を消耗しただけではなく、近江派(淀君・石田三成たち)と尾張派(寧々・加藤清正・福島正則たち)の対立が激化するキッカケを作りました。
もし、豊臣秀長が病気にもならず、長生きしていたら、朝鮮の出兵を止められなくても、早めに撤退させる可能性がありました。
それが可能になっていれば、徳川家康が豊臣家を分裂させる事は難しかったでしょう。
豊臣秀長が長生きしていたら関ヶ原の合戦は起こらなかった!
豊臣秀長が長生きしている状況で、もしも関ヶ原の合戦が起きていたら、どうなったでしょうか?
淀君が、豊臣秀頼の出陣は認めなくても、豊臣秀長の出陣を止める理由は、何もありません。
豊臣秀吉の弟が西軍の総大将として出陣したら、さすがの福島正則や黒田長政たちも徳川家康に味方する事はできなかったでしょう。
そうなると、豊臣方は約20万ほどの大軍で団結したので、さすがの徳川家康も簡単に勝てる戦ではなかったハズです。
豊臣秀長が長生きしていたら徳川家康が天下を取れない理由のまとめ
仲野太賀さんが、大河ドラマ『豊臣兄弟』で、主役の豊臣秀長役として出演する事が決まりました。
歴史に『もし』はつきものですが、もしも豊臣秀長が長生きしていたら、徳川家康が天下を狙うのはほぼ不可能だったでしょう。
そうなれば、豊臣家が存続して、日本の歴史がどうなっていたのか?全く分からない感じがしますね。
再来年の大河ドラマになってしまいますが、やはり戦国ものは面白いので、期待しておきましょう。