世界遺産のエーゲ海の城塞都市が出来た3つの理由を紹介

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引用元:チューリップテレビ

12月3日18時(地域によって違う可能性があります)のテレビ番組『世界遺産』で、エーゲ海の城塞都市が紹介されますが、これほどの建造物がなぜ必要だったのでしょうか?

実は、エーゲ海の城塞都市を作る理由は3つもあり、この城塞都市が無ければ、世界の歴史が変わっていた可能性があるので、この建造物が作られた3つの理由を紹介しましょう。

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世界遺産のエーゲ海の城塞都市が出来た理由は宗教対立

現在でも、イスラエルで、ユダヤ教とイスラム教の対立が続いていますが、その話と世界遺産の『エーゲ海の城塞都市』は少し関係しています。
1113年、キリスト教の信者たちが、聖地エルサレムに行きたいと思っても、その道のりは遠くて、いつ異教徒に襲撃されるか分からなくて、エルサレムに聖ヨハネ騎士団が創設されました。

しかし、当時のイスラム教の勢力は、キリスト教の勢力に劣らぬものがあり、1187年にイスラム勢力の猛攻によりエルサレムが陥落したのです。1291年には、キリスト教徒の最後の砦であったアッコ(イスラエル)も奪われて、絶体絶命のピンチに陥ります。

そこで、聖ヨハネ騎士団はロードス島(ロドス島とも呼ばれています)に旧市街を丸ごと城壁で囲みました。日本では、このような城塞都市はあまり例がなく、小田原城ぐらいなものでした。

日本は多神教であり、八百万の神という言葉があるぐらいなので、日本人には理解しづらい所があるかもしれませんが、キリスト教やイスラム教は一神教なので、互いに激しい戦いを繰り広げていた訳ですね。
つまり、宗教対立により、これ以上は攻め込まれないためにも、世界遺産の『エーゲ海の城塞』が出来た訳ですね。

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世界遺産のエーゲ海の城塞都市が出来た理由は反撃のため

聖ヨハネ騎士団が、世界遺産のエーゲ海の城塞都市を作ったのは、何もイスラム勢力から守るためだけではありません。
ヨーロッパから聖地エルサレムまでの行き来を確保するためには、イスラム勢力にあった領土を奪う必要がありました。
そのための反撃拠点となるのが、エーゲ海の城塞都市です。しかし、キリスト教とイスラム教の戦いは熾烈(しれつ)を極めて、1522年にオスマン帝国の第10代スレイマン1世が20万もの大軍で侵攻してきます。
それに対して、騎士団側は、わずか7千しかありませんでした。
今まで、何度もイスラム勢力の侵攻を防いできたエーゲ海の城塞都市もついに明け渡すことになった訳です。

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世界遺産のエーゲ海の城塞都市が出来た理由は際どい位置のため

引用元:旅行.info

聖ヨハネ騎士団が、世界遺産のエーゲ海の城塞都市を作った3つの理由としては、際どい位置にあった事でしょう。上の地図を見れば分かるかと思いますが、ロードス島はトルコ本土のすぐ近くにあり、ここを取られたら、ギリシャは攻め込まれやすくなります。

イスラム教の勢力がこれ以上、拡大しないためにも、この際どい位置にあった島に、城塞都市を作る必要があった訳です。

日本で、ロードス島と聞いたら、多くの方は、アニメ『ロードス島戦記』を思い出すかもしれませんが、実際でも、ここまで激しい戦争が起きていたとは驚きですね。

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世界遺産のエーゲ海の城塞都市が出来た理由のまとめ

美しいエーゲ海で、凄い規模の城塞都市が出来た訳ですが、それは激しい宗教対立が起きてしまった事が大きく関係していました。

現代では、キリスト教とイスラム教の戦争は行われなくなりましたが、その代わり、ユダヤ教(イスラエル)とイスラム教の激しい戦いが繰り広げられています。

日本では、対岸の火事のように思っている方は多いかもしれませんが、日本でもいつ攻め込まれて、戦争が起きてもおかしくないので、あまり油断せず、政治から目を離さないようにしましょう。

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