
NHKのテレビ番組『3か月でマスターする江戸時代』で、対馬藩が国書を偽造してまでも、江戸幕府と朝鮮王朝の間で交易できるようにします。
国書偽造は、あとでバレてしまいますが、日朝の両政権はともに『対馬藩のせいにしておこう』と考えて、問題にしませんでした。
一見すると平和的に見えますが、これが日中戦争を長引かせる原因になるので詳しく紹介しましょう。
対馬藩が国書偽造して問題になった『事後承認』
対馬藩が国書を偽造する事によって、江戸幕府と朝鮮王朝は、それぞれメンツをつぶさない形で国交を回復できました。
それだけ、豊臣秀吉の二度の朝鮮侵略は、大きな爪痕を残して、日朝関係を最悪なものにしてしまったのです。
江戸幕府と朝鮮王朝としては、対馬藩の行った事は悪くても、それぞれメンツをつぶさず国交を回復できたので『問題を大きくしないでおこう』と思って、事後承認しました。
しかし、これが、大きな問題になってしまうときがあって、それが『日中戦争』です。
日本の政治家としては、中国との戦争を長引かせたくないと思って、何度も和平の道をさぐっていました。
ところが、現地にいた軍人が次々に暴発してしまい、領土を広げていきます。日本の政治家はこれを事後承認し続けてしまい、日中戦争は泥沼化していったのです。
対馬藩をお咎めなしにした経験が、ここで悪い方向に導いてしまったのは、見逃せないポイントですね。
豊臣秀吉が朝鮮を侵略したのは無謀な領土拡張のためではない?
豊臣秀吉が朝鮮を侵略した事により、対馬藩が国交回復のために、国書を偽造した訳ですが、なぜ朝鮮を侵略したのでしょうか?
それは、スペインなど欧米の国が明国(現在の中国)を征服して、そのあとに明兵が日本に侵略してこないために、先手を打とうとした所があります。
実際に、スペインのフランシスコザビエルが日本へやってきたのは、キリスト教を布教するだけではありません。
当時のキリシタンは、外国でキリスト教を布教させて、キリシタンが増えたあとに、その国を征服していったのです。
国内で多くのキリシタンが増えてしまっては、外国が攻めてきて、キリシタンが呼応したら、ひとたまりもありません。
そのため、豊臣秀吉は苛烈なほど、キリシタンを弾圧して、外国へ日本人を人身売買させようとしたのを辞めさせていったのです。
国書を偽造した対馬藩の石高や実力
対馬藩は10万石ほどであり、1万石もあれば300人の兵隊を雇えました。つまり、対馬藩は3000名もの軍隊を養える実力があった訳です。
江戸時代で石高の多い諸大名を見てみると、対馬藩の実力は、それほど弱くない事が分かります。
- 加賀藩(前田家):102万石
- 薩摩藩(島津家):72万石
- 仙台藩(伊達家):62万石
- 尾張藩(徳川家):61万石
- 紀州藩(徳川家):55万石
- 熊本藩(細川家):54万石
- 福岡藩(黒田家):47万石
- 広島藩(浅野家):42万石
- 長州藩(毛利家):36万石
- 佐賀藩(鍋島家):35万石
10位でさえも、35万石ほどであり、対馬藩の10万石が決して小藩とは言い切れない事がよく分かりますね。
対馬藩が国書偽造して日中戦争が長引かせた理由のまとめ
対馬藩が、国書を偽造させてしまった事により、何とか江戸幕府と朝鮮王朝は、国交を回復させる事ができました。
そのあと、朝鮮通信使が何度も来日してきて、両国の関係は、かつてないほど良好な関係へ発展していきます。
世界史で見ても、隣国と戦争が起きたあとに、ここまで良好な関係になった事は、中世ではまれです。
そういった事を考えたら、対馬藩が国書を偽造して、お咎めなしになった事により、日中戦争を長引かせる要因になったとは言え、学べる所は多いですね。